
過去のExpo
Expo 1970 大阪
1970年3月15日~9月13日
テーマ:人類の進歩と調和
第一種一般博覧会 · 第一区分制度
写真:© 2025. Jean Huard
1970年9月13日閉幕
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56年前
183
開催日数
77
参加国
330 ha
会場面積
815エーカー
6,422万
入場者数
64,218,770
350,922
1日あたりの入場者数
平均
基本情報
数字で見る
正式名称
「日本万国博覧会」
カテゴリー
第一種一般博覧会
第一区分制度
テーマ
人類の進歩と調和
会期
1970年3月15日~9月13日
183日間
開催都市
大阪, 日本
会場
吹田
330 ha (815エーカー)
開催地決定
1966年5月11日
参加国
77
入場者数
64,218,770
「日本万国博覧会」は、1970年3月15日から9月13日まで、日本の大阪府にある330ヘクタールの会場で開催された。日本政府が主催し、1928年の国際博覧会に関する条約に基づく第一種一般博覧会であった。183日間の入場者数は6,421万8,770人を記録し、日本およびアジアで初めて開催された国際博覧会となった。
博覧会国際事務局(Bureau International des Expositions、BIE)の総会は、1966年5月11日に同博覧会を登録した。日本にとって、この催しには長い歴史があった。日本は1940年に東京で国際博覧会を計画していたが開催されず、その中止された博覧会の入場券の所持者は1970年に入場を認められた。京都大学の歴史家、佐野真由子は、同博覧会を日本の戦後経済成長と先進国の仲間入りに結びつけている。
テーマ「人類の進歩と調和」は、技術の進歩がいかにしてより調和のとれた人類の未来に役立ちうるかを問うものであった。同博覧会のシンボルマークはグラフィックデザイナーの大高猛がデザインした。時期も重要であった。1960年代から1970年代にかけて多くの新興独立国が誕生し、潜在的な参加国の幅が広がったのである。
建築家の丹下健三が、西山夘三の当初の構想を基に、総合プランナーを務めた。二人はいずれも、都市を適応し成長する有機体として構想したメタボリズム運動と結びつけられている。計画の中心にはシンボルゾーンがあり、長さ1キロメー トル、幅150メートルのこの軸線に、お祭り広場、テーマ館、太陽の塔、エキスポタワーが配置された。丹下のお祭り広場は「大屋根」で覆われていた。これは鋼管による二層の立体トラスで、108メートル×297メートルの大きさがあり、地上30メートルの高さに架けられた。透明な空気膜のプラスチックパネルで覆われ、当時としては斬新な工法である空気圧ジャッキによって所定の位置に持ち上げられた。そこに取り付けられた実験的なカプセルは、都市生活のもう一つのビジョンを提示した。
芸術家岡本太郎の太陽の塔は、大屋根に開けられた開口部を貫いて高さ70メートルにそびえた。テーマ館の一部として建てられた塔の内部には、292体の生物の模型を備えた高さ41メートルの構造物「生命の樹」が収められていた。その周囲の地下、地上、空中に設けられた展示部分は、それぞれ過去、現在、未来を表した。
77か国が参加し、会場には政府、国際機関、州・省、都市、企業が建設した116のパビリオンが並んだ。桜の花の形に配置された日本館は3万7,791平方メートルを占めた。米国は空気膜構造のケーブル屋根を持つパビリオンを出展し、月着陸船とアポロ12号が持ち帰った月の石を展示した。パウロ・メンデス・ダ・ロシャ(Paulo Mendes da Rocha)によるコンクリート屋根を持つブラジル館は、ブルータリズム建築の象徴となった。スイスは枝分かれする金属製の「輝く構造体(Radiant Structure)」を建て、ジェームズ・マコーミック(James MacCormick)によるオーストラリア館は円形の屋根を吊り構造から吊り下げ、オランダはマルチメディアのパビリオンを出展した。
企業パビリオンは、のちに日常生活に入り込む技術を紹介した。空気膜構造の富士グループパビリオンは、最初のIMAX映画『虎の仔』(Tiger Child)を上映した。電気通信館では、日本電信電話公社(電電公社)がワイヤレステレホンを展示し、移動体通信の初期の公開実演となった。サンヨー館は、「人間洗濯機」の名で知られるウルトラソニックバスの試作機を展示した。モジュール式ユニットで建てられた黒川紀章のタカラ・ビューティリオンは、世界初のカプセルホテルに着想を与えた。
人出は膨大であった。最も混雑した1970年9月5日には83万6,000人が来場し、同博覧会の総入場者数は、Expo 2010 上海まで国際博覧会史上最多であり続けた。この人数に備えた地域の整備は、約110キロメートルの新しい道路を含む都市開発を促した。
閉幕後、お祭り広場の大屋根は解体され、会場は万博記念公園となった。公園の面積は約260ヘクタールで、日本庭園を含む当初の施設の一部が残されている。太陽の塔は今も公園の中心に立っている。塔の内部は2018年に博物館として再公開された。塔は2020年に国の登録有形文化財となり、2025年8月27日には国の重要文化財に指定された。大阪がExpo 2025 大阪を開催した際には、1970年の会場の木々が同博覧会の「静けさの森」に移植された。
Expo 1970 大阪は、日本が国際博覧会の開催国として登場したことを示し、日本の建築家、芸術家、デザイナーの一世代に国際的な舞台を与えた。メタボリズムの計画、大胆な工学、大衆の参加を融合させた同博覧会は、後の国際博覧会が未来都市を構想する方法を形づくった。
ストーリー
人類の進歩と調和
Expo 1970 大阪は、「人類の進歩と調和」をテーマに77か国を集め、6,400万人以上の来場者を迎え、今も万博記念公園に立つ太陽の塔をシンボルとして残しました。
会場
開催地
資料

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参考文献
博覧会国際事務局. "A to Z of Expo Architecture: Kenzō Tange." BIE. July 17, 2019. https://bie-paris.org/site/en/latest/blog/entry/a-to-z-of-expo-architecture-kenzo-tange
博覧会国際事務局. "Expo 1970 Osaka." BIE. https://www.bie-paris.org/site/en/1970-osaka
JAPAN HOUSE Los Angeles. "Osaka Expo 1970 & 2025: Japan's Futuristic Vision Then and Now." JAPAN HOUSE Los Angeles. July 16, 2025. https://www.japanhousela.com/articles/osaka-world-expo-1970-2025-japan-futuristic-vision-then-and-now-kengo-kuma-sou-fujimoto/
Koso, Ayumi. "Five Things You Should Know about Expos, Now That Osaka Has Won the Bid to Host the 2025 World Expo." NIHU Magazine, no. 30. November 30, 2018. https://www.nihu.jp/en/publication/nihu_magazine/030
Osaka Convention & Tourism Bureau. "Expo'70 Commemorative Park." ART Flavor OSAKA. https://art-flavor.osaka-info.jp/en/facility/expo70-commemorative-park
Tower of the Sun Museum. "About Expo '70 in Osaka." The Official Site of the Tower of the Sun Museum. https://taiyounotou-expo70.jp/en/about/expo70/











