Not for Sale:Expo 2025 大阪のウクライナ館
更新日:6 日前
多くの国際博覧会で残念に思うのは、異文化が出会う場というより、民芸品店のように機能している国のパビリオンを目にすることです。文化は装飾的な背景として使われ、本当の目的は土産物を売ることになっています。こうした取引的なアプローチは国のアイデンティティを矮小化し、国家の戦略的目標に資するような、より深い価値観やビジョンを伝える代わりに、それを商品に変えてしまいます。国際博覧会に関する条約によれば、こうしたイベントは「本質的に商業的な性格」のものであってはなりません。その目的は、売ることではなく、刺激を与え、教育することにあります。

Expo 2025 大阪で、ウクライナはまさにその逆を行いました。コモンズC館の中にあるウクライナ館は、一見すると店のようですが、その品々はNot for Sale(非売品)です。文化を通じて商品を宣伝するのではなく、ウクライナは商品というなじみのある言語を通じて、文化と価値観を発信しています。重点が置かれているのは、値段のつけられないもの、つまり自由、尊厳、主権です。
パビリオンは、棚やラベル付きの品々、すっきりとしたデザインによって店舗のように見えますが、購入の可能性を排除することで体験を一変させています。品々は商品ではなく、問いかけのきっかけとなります。それぞれの品にはバーコードが付いており、来場者はパビリオンが貸し出す携帯端末でスキャンできます。端末では短い動画が再生され、説明をさらに掘り下げながら、その品をひとつの価値と結びつけ、続く侵攻の中でその価値がどのように脅かされ、あるいは守られているのかを示します。

オレナ・ゼレンスカ大統領夫人がExpo 2025 大阪のウクライナ・ナショナルデーで語ったように、このパビリオンは「まさに価値観に捧げられたものです。『Not For Sale』と名づけられているのは、価値観は売り物ではなく、それでいて計り知れない価値があるからです」。
ゼレンスカ夫人はまた、プロパガンダからオンライン上の情報操作に至るまで、価値観は至るところで「深刻な試練」に直面していると警告しました。そして、世界にはまだ十分な人間性があるのか、侵略者は罰せられるのか、正義は回復されうるのかと問いかけました。そのスピーチは、パビリオンのコンセプトを補強するものでした。大阪で展示されているのは商品ではなく、一連の誓いなのです。

一部の国は、予算上または政治上の理由から、今回の国際博覧会に参加しないことを選びました。全面侵攻を受けながらも参加するというウクライナの選択は、戦略的な国際コミュニケーションに対する異なるアプローチ、すなわち「存在することが影響力である」という考え方を示しています。国際博覧会の舞台に立つことで、ウクライナはナラティブに異議を唱えただけでなく、外国の人々と直接向き合う機会も生かしました。このアプローチは、国際博覧会を舞台とした国家運営の長い系譜に連なるものです。ニコラス・カルが論文Overture to an alliance: British propaganda at the New York World's Fair, 1939-1940で指摘しているように、英国はそこで自国のパビリオンを活用し、戦争前夜に存在感を保ち、支持を集め、決意を示したのです。

価値観を主役にするために売ることを拒む店というコンセプトは、うまく機能しています。しかし、パビリオンにもっと多くのウクライナ人が実際にいれば、その効果はさらに大きくなるでしょう。品々は好奇心をかき立てることはできますが、意味をしっかりと根づかせるのは人と人との交流です。慎重に選ばれ、研修を受けたウクライナ出身のスタッフがいれば、個人的な体験を語り、対話を交わし、パビリオンが伝えようとしている価値観を体現することができます。その存在は抽象的な理念を生きた経験と結びつけ、メッセージをより身近なものにし、来場者の共感を深めるはずです。

あまりにも多くの国が文化を工芸品や店に矮小化してしまう国際博覧会の環境の中で、ウクライナは店の外観を用いて、それ以上のものを訴えました。そのパビリオンは、売ることを拒むことそのものをメッセージにしています。命、自由、尊厳をはじめ、最も大切なものは商品化できず、ただ守り、分かち合うことしかできないと訴えているのです。パブリック・ディプロマシーにとっての教訓は明らかです。困難なときでも存在感を確保し、国家の戦略的目標を推進しながら、人々に意味のある形で語りかける体験をつくり出すことです。Expo 2025 大阪において、Not for Saleは公の誓いとして読み取れます。売り渡さない、屈しない、そして沈黙させられない、という誓いです。



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